こんにちは。めがね税理士の谷口(@khtax16)です。
今日は税金記事を書く予定だったのですが、先ほどモヤモヤすることがありうまく手につきません。
なのでノーインデックス(検索されないようにすること)にして少し考えたことを書いてみます。
目次
人が辞めていくことで悩む中小企業のトップは、まず自分の人間性を見つめ直してみたほうがいい
いままであんまりハッキリと書いていませんでしたが、私が前に勤めていた税理士事務所(税理士法人)を退職したのは、仕事に対する不満というよりトップに対する不信感が原因でした。
(会社に対する説明としても特には言っていません)
とは言っても、前の事務所には『独立した以上尊敬・信頼できる人と付き合っていきたい』でも書きましたように、「この人がトップだったらずっと働いていたのかもなー」と思える尊敬・信頼できる上司(先輩税理士)がいました。
また、もう一人の上司(先輩税理士)の方も本当に仕事ができて尊敬・信頼できる方でしたし、一緒に働く方もものすごくいい方ばかりで話しやすくて楽しくて、人間には本当に恵まれていました。
ただ一人トップを除いては。
中小企業のトップには仕事に対する情熱あるいは人間性が必要では
前の事務所(税理士法人)のトップは仕事に対する情熱がかけらも感じられず、いかに自分の責任を回避するかしか考えていない人間であるように私の目には映りました。
仕事でも人間性でもまったく尊敬できない方だったのです。
一方の意見のみを聞いて判断するほど愚かなことはないので、私の見立てを信じてくれとはまったく思っていません。
ただ、中小企業で人が長く働いていくには、
- トップを一人の人間として尊敬できること
- 仕事(あるいは発想や行動力)で圧倒的な実力を示せること
のどちらかは必要なのではないかと、それも一つのきっかけとして考えました。
仮にいまそのどちらもなかったとしても、少しでもそのどちらかを目指していること、その姿勢ぐらいは必要ではないでしょうか。
人が誰かについて歩くとき、「目指したいと思える背中がそこにあるから」一緒に歩こうと思える、思い続けられるのではないでしょうか。
(大企業、あるいは中堅企業ぐらいになれば、いかに環境を整えられるか、いかに組織をマネジメントできるかになるのでしょうが)
善をなすことの報いは、では結局、善をなしたという満足のほかはないのか?
本当はそのトップに対する憤懣や、トップがどんなことを会社でしていたのか、そのご立派なお人柄を3000文字ぐらいで書き連ねようとした(実際1000文字くらいは書いた)のですが、そんなことしてなんになるのかなと思ってやめました。
(1000文字も書いておいてなんですが。ちなみに役員の方は3名いらっしゃいましたがお1人だけです)
私はだれかと揉めたときに言い争うことはあまりしません。
それには2つ理由があって、
- 頭がうまく回らず言うべき言葉が出てこないから
- そんなことをしてもしょうがないから
というのがその理由です。「つまり愚鈍だから」と言われても「そうかもしれないね」と思います。
私はこういうとき、プロフィールの好きな言葉にも書いている、
善をなすことの報いは、では結局、善をなしたという満足のほかはないのか?
中島敦『弟子』
という言葉が頭に浮かびます。
言葉の意味
この言葉は、孔子(こうし)という論語を書いた偉い先生の弟子である、子路(しろ)という男性が言ったものとして出てくるのですが、背景も含めて意訳すると、
「腐った人間、悪い人間は世の中にいくらでもいて、どれだけ正しく身を綺麗にして生きてもそいつらは思い直さないし世の中は正しくならない。であるなら、正しいことをして返ってくる見返りは、結局、『おれは正しいことをしたんだ』って満足だけしかないじゃないか」
という感じで受け取っています。
(意訳なのであくまで私の解釈です)
すみませんいま手元にないのでわかりませんが、たしか本の中でこれに対する明確な答えって出ていなくて、でも私は答えの出ないまま「そうだよな」と思っています。
私には、今現在、「いいことしたら必ずいいことが返ってくるよ!」ということが言えません。
「どんなにいいことをしても、だれも見ていないかもしれない、なにも返ってこないかもしれない、でも、それでも誰かのためを思って押し付けでもなく行動できたとき、少しいい人間に近づける」というささやかな思想が今の私が持っているものです。
私はいい人間になりたい。
それでいて、わがままですが、『独立した以上尊敬・信頼できる人と付き合っていきたい』で書いたように尊敬・信頼できる人間と付き合って生きていけるようになりたい。
綺麗事に聞こえるでしょうし、実際の私を知る人には「そんな大層な人間じゃないよな」ということはバレてしまいますし、「毒にも薬にもならない『私いい人』みたいなことを言っても誰にも響かない」というブログ術みたいなものもあるのですが、まあ、いつものことなのですが結果的にこういう考えに至ったのでそのまま書いてみました。
昔から聖人君子になりたいと思っているんですけどね、とりあえず1000文字も書いてるようじゃだめですね。
遠すぎてため息をつくことが時々あります。